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2015年02月20日

大杦里有志連 下百古里


大杦里有志連 下百古里
大杦里有志連 下百古里

大杦里有志連 天竜区下百古里

一層唐破風屋台

大杦里有志連 下百古里

下百古里(しもすがり)武速神社祭典で曳き廻される大杦里有志連の屋台は自動車のシャーシをベースに作製。
ミニ屋台もある。


大杦里有志連 下百古里

武速神社の将軍杉

静岡県指定天然記念物である下百古里武速神社の将軍杉は、延暦十六年(797)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐へ向かう途上に武速神社に戦勝を祈願。この時、将軍が食事の際に使った杉の箸を地面に挿したところ、根付いて将軍杉になったという伝承がある。

この杉の樹皮が病気に効くということで、明治中頃まで関東東海一円から多くの人が将軍杉を訪れたという。

百古里は山深い場所にある小さな集落だが、武速神社は南北朝時代永徳二年(1382)の棟札が残る古社である。


大杦里有志連 下百古里

下百古里は遠江國府の見付から光明山へ向かう途中にある。
國府から真っ直ぐ北へ延びたこの道が、律令時代には光明秋葉、信州方面へのメインルートであったようだ。

岩室には、かつて大伽藍があったという岩村廃寺の遺構があり、弘法大師開山による真言密教の霊場であったが、のち臨済宗敷地永安寺末寺となった。
この伽藍の遺構を国分尼寺に推定する説もある。

「吾妻鏡」に文治二年(1186)に遠江国司が岩室の山寺に(当時頼朝に追われていた)源義経を捜索したという記録が見られる。
この寺や獅子ヶ鼻の奇岩群一帯は山岳修験の場であった。

虫生温泉は古くから遠江の湯治場として皮膚病に効く鉱泉が湧いていた。現在も微量ながら湧出しているという。

大杦里有志連 下百古里

鏡山の光明山遺跡から磐田方面を見渡す。右下に見える集落が天竜区只来、ここから、その背後に連なる山を登っていくと百古里に着く。虫生、岩室を経て山を越えると天竜川と磐田原台地。見付の國府が光明山を仰ぎ見て、その直線上に霊場や山岳修験の場が配置されている、ということのようだ。


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Posted by 天竜北遠のお祭りを応援する會 at 12:00│Comments(0)光明
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