› 天竜の屋台~天龍の屋臺行事 › 龍川 › 朝日連 横山町

2015年02月05日

朝日連 横山町



朝日連 横山町
朝日連 横山町

朝日連 横山町

浜松型一層唐破風大屋台

昭和十年(一九三五)建造
大工 三嶽駒吉
彫刻 中山由太郎政勝


朝日連 横山町
叉水連 二俣横町
浜松型重層入母屋造御殿屋台


朝日連 横山町
紅葉社 西領家坂下
浜松型重層入母屋造御殿屋台

鴨江町の大工、三嶽駒吉は浜松型御殿屋台草創期の名工で、浜松御殿屋台に特徴的な重層入母屋造の建造は三嶽が元祖であるという。
駒吉は昭和八年、鍛治町の御殿屋台を造り、それとほぼ同型の屋台を昭和十一年二俣横町叉水連の屋台として建造している。
唐破風の入母屋造は、水捌けの問題から寺社や城郭の屋根に一般的に見られるものでなく、戦前の浜松御殿屋台には少なかったようで、駒吉のオリジナルといえる。
同じく三嶽駒吉建造の田町の屋台は一般的な照り破風の入母屋造(浜松の屋台用語として「千鳥破風入母屋」とも云われるが、一般建築では入母屋破風とは入母屋屋根の破風で、千鳥破風は飾り破風の一種)であった。


朝日連 横山町
南がく連花屋台
桃山時代風重層入母屋造花屋台

一般的な入母屋造は照(て)り破風(凹曲線)、凸曲線を起(むく)りといい、照り起りの曲線で構成された破風を「唐破風」と言う。

浜松空襲により、戦前浜松市内にあった浜松型重層入母屋造御殿屋台は全て焼失し、戦前の重層入母屋造屋台で現存するのは天竜区内にある上記の三台のみ。

朝日連 横山町
照り起りの曲線のみで構成された美しい二俣型唐破風

朝日連 横山町
大きく威風堂々とした唐破風が、三嶽駒吉の匠の技で造られた。

朝日連では、横山町の井組連、三華連が二俣型大屋台、あるいはそれに準じて建造されたのに対し、掛塚式の屋台とすることを目指し、掛塚型屋台を建造できる大工として三嶽駒吉に白羽の矢が立ったという。

が、実際のところは、三華連屋台建造に加わった稲垣皆吉と三嶽駒吉には交流があったと思われる。当然乍ら出来あがった屋台は掛塚型一層唐破風本舞台ではなく、三嶽オリジナルの浜松型一層唐破風大屋台である。

大工は三嶽駒吉、彫刻は岡崎の堂営彫刻師中山由太郎政勝で、同じコンビで叉水連、紅葉社も建造している。

中山は彫刻を刻むと東海道線で浜松へ送ったという。

朝日連 横山町
駒吉建造の屋台の屋根は何枚もの薄板を少しづつずらしながら貼り合わせる非常に手の込んだ技法で造られ、現代の技術では再現不可能とさえ云われている。

また、叉水連、紅葉社の上層屋根に用いられた扇垂木の技法も、大きくが反り上がった軒搦を見れば、如何に卓越した技術が施されたかがわかる。


朝日連 横山町
三嶽一郎作 水窪本町若連


朝日連 横山町
三嶽四代目早川真匠作 二俣吾妻連

三嶽といえば重層入母屋造御殿屋台であるが、三嶽駒吉が遺した朝日連の三嶽流浜松型一層唐破風大屋台の系譜は、三嶽一郎、早川真匠へと引き継がれた。


朝日連 横山町

実際に信濃や木曾の山中を巡り、良質の欅材を吟味するところから三嶽の屋台造りは始まる。早川真匠が初めて手掛けた吾妻連大屋台は水窪から出た欅の大木一本から刻んだ。木割りで屋台の善し悪しが決まる、それが三嶽の伝統であるという。



天龍の屋臺地之巻



同じカテゴリー(龍川)の記事
三華連 横山町市場
三華連 横山町市場(2015-02-05 14:04)

井組連 横山町
井組連 横山町(2015-02-04 12:07)


Posted by 天竜北遠のお祭りを応援する會 at 22:20│Comments(2)龍川
この記事へのコメント
こんにちは(゜-゜)

私の地区の屋台が(^O^)!!
しかも屋根の人を見ると割と最近の写真・・・?
通りすがりですが去年の祭が恋しくなって
思わずコメントしてしまいました(*^^)v
Posted by (株)リサイクルクリーン袋井工場(株)リサイクルクリーン袋井工場 at 2015年02月06日 16:41
リサイクルクリーン袋井工場さん、コメントありがとうございます!!
天竜区には百台を超える屋台があり、皆様それぞれ自分の町の屋台が一番だと思います。天竜区の人口は昭和三十年代の八万人から三万人に大きく減ってしまい、各町屋台の維持は大変になってきました。
区内で力を合わせ、こうした歴史的、文化的にも貴重な屋台を、未来へ遺して伝えていきたいものですね!!
Posted by 遠州二俣祭り馬鹿遠州二俣祭り馬鹿 at 2015年02月06日 21:52
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
朝日連 横山町
    コメント(2)