2015年07月16日
叉水連 二俣横町 百三十年の歴史に幕
叉水連 二俣横町
浜松型重層入母屋造御殿屋台
大工 三嶽駒吉
彫刻 中山由太郎政勝
昭和十一年建造
平成二十六年の二俣諏訪神社祭典を最後に活動を休止した叉水連
戦国時代末期から安土桃山時代に二俣城の城下町として栄えた遠江国豊田郡二俣郷城下村から発展した二俣村に於いて
古町(かつての城下村)、新町、中町、車道と共に「横町」は古くから史料にその名が見られる旧町でありました。
寛政十年(一七九八)、京の都は「平安書林華箋堂」から上梓された『遠山奇談』は天龍川を遡り信州遠山郷へ至る紀行文でありますが、旅の始まりを椎河脇大明神から書き起し「鳥羽山を越えて、二俣宿ふじやと云ふに宿して夜を明かしぬ」と記されています。
当時の二俣川本流を横町から車道へ渡る橋はなく、大水が出れば秋葉詣での旅人は足留めとなり横町の旅籠は賑わったと云います。『遠山奇談』のふじやは、明治初期に醤油の醸造へ商いを変え、現在も老舗醤油店として営業しているのです。
当時の横町には遊郭があったと云い、女性の名が並んだお地蔵様が今も横町に祀られています。
叉水連自慢の大太鼓には明治十七年購求と墨書きされており、叉水連には少なくとも百三十年以上の歴史があることがわかっています。
明治十七年購求の大太鼓を載せていたという叉水連先代屋台は気田金川金勢社に現存
叉水連の十八番である「屋台下」は、遠州地方で最もポピュラーな曲ですが、叉水連のアレンジは独特で、この囃子を聴くために二俣諏訪神社祭典を訪れる祭りファンもいたほど・・・
然し、その演奏も・・・昨年の祭りが最後となってしまうかもしれません・・・
浜松型重層入母屋造御殿屋台の祖 三嶽駒吉 が初期に建造した屋臺は、現存する浜松型重層入母屋造御殿屋台として最古
浜松は空襲で大型の重層御殿屋台は全て消失し、戦後の再建時には二俣に残っていた叉水連の屋台を手本としたという説もあります。
浜松市にとっても貴重な屋臺ですが、今年の二俣諏訪神社祭典では見ることが出来ないようです・・・
Posted by 天竜北遠のお祭りを応援する會 at 12:47│Comments(0)
│天竜区二俣町