2015年02月03日
北煙火連 北カ連 北鹿島


北煙火連 北鹿島連 北カ連
舟形屋台 昭和五十三年頃建造


椎ヶ脇神社御旅所
古く鹿島の中心は北鹿島村であったようで、内山真龍『遠江國風土記伝』によれば、西鹿島村と、その分村である瀬崎村(天龍河に流亡)、佐崎野村の河西三村は昔麁玉郡赤狹郷之東限也となっており、西鹿島村は於呂、根堅との結び付きが強かった。
式内社長下郡猪家神社に比定される椎ヶ脇神社だが、古くは北鹿島にあり、天龍河の洪水被害を受けたため、西鹿島の山の上に遷座したとの言い伝えもある。元宮を御旅所としている点では、村社諏訪神社と同じ伝説である。
実際に椎ヶ脇神社祭典は北鹿島連が中心となって、宮山に神様を迎えに行き、神輿に乗せ天龍河を舟屋台で渡御し、その際に奉納煙火を打ち上げていた。西鹿島では、別に八幡宮の祭禮も行っていた。
昭和五十二年頃までは、北鹿島連が「聖天」の祭禮囃子を奏で、鹿島橋歩道橋を渡って渡御をしていたが、屋台が曳かれるようになった昭和五十三年頃からは、西煙火連が八幡宮経由で北鹿島へ神輿を送り届ける渡御を担当するようになり、その後、北煙火連に伝わっていた独自の二俣郷祭禮囃子は途絶えてしまったという。
現在は神輿渡御に供奉して西煙火連の屋台は北鹿島御旅所までやって来るが、北鹿島連の舟形屋台が鹿島橋を渡って椎ヶ脇神社へ宮入することはないようだ。
北鹿島では近年まで、神輿が旅所へ御宿する夜、氏子達が揃って旅所に泊まり込む古式に則った御夜籠りの慣習が残されており、千年以上続くという伝統の祭禮の重みを感じさせてくれる。
Posted by 天竜北遠のお祭りを応援する會 at 20:11│Comments(0)
│天竜区二俣町