高砂社 春野町砂川 高塚山上の八坂神社 遠州三山春埜山を仰ぐ

天竜北遠のお祭りを応援する會

2015年02月19日 17:48





高砂社 春野町砂川(いさがわ)

御所車型二輪屋台

昭和五十二年 掛川市久保建造
大工 田辺建築

平成二十四年 高砂社購入
彫刻は先代屋台から流用



砂川八坂神社の祭禮で曳かれる高砂社の屋台

三年前に老朽化で解体されてしまったという先代屋台は非常に貴重な二層高欄四輪山車屋台であった。







砂川は高塚山の中腹にある標高四百メートルの山上集落。

天空の上で屋臺を曳き廻す。

天竜区では、屋台が老朽化し、人員も不足し、苦渋の末曳き廻し中止を選択した集落も増えつつある危機的状況であるが、砂川は中古とはいえ屋台を購入し祭禮を継続している。
屋台の曳き廻しは住民の結束力を高め、町を離れた若者が孫を連れて帰ってくる・・・将来のUターンを見据えれば、集落の存続になくてはならない重要な「祭禮行事」なのだ。


江戸末期、嘉永五年(1852)の地図を見ると、砂川は村の名ではなく、現在「不動川」と呼ばれる川の名が『砂川(いさがわ)』となっている。
地図にある「徳瀬」「葛沢」辺りが砂川と思われる。

※砂川は峯沢頭、赤土、徳瀬の三村で成立したようだ。



明治六年の地図には砂川村が記載、川の名は「不動川」となっている。


八坂神社は伊砂集落から更に山上へ登った場所にある。
同じ高塚山に隣接する和泉平地区も、集落から随分離れた山上の新宮池に氏神の新宮神社がある。集落の先祖は、かつてその場所に住んでいたのかもしれない。
渾々と水が湧く新宮池はもちろん、八坂神社のすぐ近くにも水源となっている湧き水が存在するようだ。


高所に開かれた茶畑からは、霊峰春埜山が一望出来る。

春埜山は秋葉山、光明山と並ぶ遠州三山の一つ。古くからの山岳修験霊場である。

三山に観音山を加え遠州四霊山と呼ぶこともある。


砂川から大時の集落を過ぎて西へ向かう。神仏混淆の春埜山大光寺、入口には鳥居が立っている。

かつての明鏡山光明寺、大登山秋葉寺も同様の神仏混淆であり、秋葉寺の鳥居は各所に建立されていた。


春埜山からは、日本三大秘境の一つ小俣京丸で有名な京丸山など、天竜川に聳える竜頭山から大井川流域の大札山まで見渡すことが出来る。
こうした見通しの良い山は軍事拠点としても重視され、戦後は信仰対象となっている。遠州四霊山の観音山、光明山、秋葉山も軍事利用された歴史がある。


春埜山に祀られる天狗、春埜山太白坊大権現

遠州四霊山には、それぞれ観音山執金坊、光明山笠鋒坊、秋葉山三尺坊といった天狗が祀られている。
天竜区には他に山住山常光坊や竜頭山八尺坊(二俣城で自刃した徳川信康が実は身代わりで、竜頭山に逃れ僧になり死後八尺坊大権現として祀られたという説がある)らの大天狗が居る。


養老元年(717)に光明山を開基した行基菩薩が翌養老二年春に春埜山を、秋に秋葉山を開基したと伝えられている。
その行基菩薩が植えたとされているのが、樹齢一千三百年の御神木、春埜杉である。

如何にも霊木という強烈な存在感を誇る春埜杉。

光明、秋葉と並んで遠州三山に数えられただけあり、山中としては立派な本堂が建っている。
然し、春埜山は江戸時代初期の一時期、衰退していた時期もあったという。


神仏混淆故、明らかな社殿が鎮座している。
狛犬は「ヤマイヌ」であり、山住神社と同様にニホンオオカミへの信仰があったようだ。
一説に春埜山は山住神社の里宮とも云われている。

DVD『天龍の屋臺』に収録!!

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